2012年4月29日日曜日

哲学書はどのくらい理解できればいいのでしょうか?

哲学書はどのくらい理解できればいいのでしょうか?

ちょっとしたきっかけで哲学書を最近読み始めた、哲学初心者です。

最初の1冊として「哲学入門 バートランド ラッセル著 (ちくま学芸文庫) 」を読んでいます。

もうすぐ読み終わるのですが、書いてあることが半分ぐらいしか理解できていません。。。次の本を読む前にこの本をもっと読み込んでりかいすべきでしょうか? 同じ本を続けて何度も読むのはつまらないのですが、何冊読んでも頭の中に何も残っていないというのも困りますね。。。 哲学を勉強されている人とか、普通はどのくらい理解したら次の本に進むのでしょうか?



補足としてもう一つお聞きしたいのですが、「哲学入門 バートランド ラッセル著」は、入門というだけあって哲学書としてはやはり簡単な部類に入るのでしょうか? この本にてこづるようでは、カントやデカルトの著作を読むなんて無理でしょうか?







読書をする方針ということで回答します。





考えなければいけないのは、読んでいる本が古典なのかどうかです。



『読書百遍(ひゃっぺん)意(い)自(おの)ずから通ず』という言葉があります。



「文意の通じないところのある書物も、百遍も繰り返して熟読すれば自然に明らかになる。」というような意味です。



意味がわからなくてもいいから、何も考えずに百回繰り返して読めということです。



ただし、これは古典に限ります。長く評価されてきた本は読めない方が悪いのであって読めるようにならないといけません。





囲碁でも、プロの碁譜(指し手の記録)を何も考えずに並べるという上達方法があります。最初は並べるのに凄く時間がかかるのですが、慣れてくると手早く並べることができるようになります。その頃には囲碁の実力の方も上達しているというわけです。





新しい分野の本はむしろ似たような分野の本を乱読した方が良い場合があります。入門書というのははっきり乱読した方が良い種類の本です。



入門書をまず20~30冊くらい読んでみましょう。流して読めばいいです。



そうすると、何が基本的なことなのかということがわかってきます。



何十冊もの入門書に共通している部分こそがその分野で基本的で本質的なことです。



入門書は熟読・精読してはいけません。



むしろ入門書こそたくさんの種類を読まなければいけないのです。流し読みで十分です。一冊に2時間かかる人ならば30分くらいで読むようにして、その代わりに4冊読むということでいいと思います。



古典であれば、何百回もじっくり時間を掛けて読むという方針になります。一冊に2時間かかる人ならば5時間掛けて読むようにして、その代わりその一冊だけで良いです。



普通の本はその中間に位置することになります。





参考になれば幸いです。








「どのくらい理解できたらいいのか?」を考えることだと思います。



なぜなら

あなたは

問いを立てることができてるじゃないですか。

じゃあ、あとは簡単。



ある時間待ってみる。

ほかの本、人、音楽、映画に触れてみる。

すると「問い」と「答え」と「なんでおかしいなと思ったのか」、ぼんやりとみえてくる。



かくいう私も、あなたと同じく哲学初心者です。

ラッセルの『哲学入門』を読んで感銘を受けたのは、

テーブルを例に考察していたこと。

「神様とか生とか死とかだけじゃないんだ、身近なものも哲学できるんだ」

って思いました。



哲学って、

天気予報もできないし、自動車もつくれない。

けど、純粋に、そのもっともの意味で、

楽しいとかつまらないとか悲しいとか思ったりして

社会の喧騒の中で、

たまーに向き合ってみたくなる。



だから(になっていないけど・・・)

まだ始まったばかりです。

お互いに肩の力を抜いていきましょうね。



ん、答えになってないって?

人生に出会う疑問の答えって、そんなもんだと思う人間なので

許してください。



参考図書

野矢茂樹『はじめて考えるときのように』







自分に必要なだけ理解すれば十分では。

本も、仕事も、芸事一般みな自分の器以上には

理解できません。

テクストの解釈など無限に存在するのですから

自分が納得すれば、他の本を読めばいいのではない

ですか。

自分が変化すれば、当然解釈も変化するので

時間が経ってから同じ本を読めば、

又、違う解釈をするのも、多々あることです。

また、哲学はオンリ-ワンではないので、

例え理解できていないと思っても、様々な人の

思考のアウトラインをみることは非常に有用で

あると思います。







どれぐらい理解できたかではありません。その内容ひとつひとつにどれだけ関心・興味を持ったかが重要です。



<入門というだけあって哲学書としてはやはり簡単な部類に入るのでしょうか?

簡単と思うか思わないかはその人次第です。中には、入門書と書かれていながら難しい専門用語の羅列が大量に記述されているものもあります。



これは受け売りですが、

「哲学に入り口はない。ましてや出口もない。どこからでも入れるし、どこからでも出れる。唯一必要なのは、“知りたい”という想いだけだ」

だそうです。確か、誰かの言葉だったとは思います。かなりうろ覚えですけど。



<カントやデカルトの著作を読むなんて無理でしょうか?

あなたがカントやデカルトに興味を持っているのならば、是非読んでみましょう。読んでもいないのに無理かどうかを決めるのは早計ですよ。







その思想なり、哲学なりで、自分の日々の『行動』が変わるなら、それでよし。

頭の中だけで理屈をこね回しても、単なる精神の浪費。







おいおいおいおい、俺はさあ、その本を見たこともないけどさ、Economistの書評で

「バートランドラッセルは生活上の理由で、売文をせざるを得なかった為、

無意味な本を大量に書きました。」という内容を読んで愕然とした経験の持ち主なんだよ。



俺は結構読んだんだよー、ラッセルを。でもさ、意味がぜんぜん無くてさー、

自分の理解力が無いせいにしてたんだよ。あー、無駄な時間を過ごしたー。

くやしー。(ほぼ英文だったし)馬鹿だった。



なっとくしたねえ、売文行為という書評を見て。

「やっぱなあ」と思いましたよ。超納得です。



外人だけじゃないぜえ、大学教授で有名な名前は出しませんが、某社会史の教授の本も

「まったく無価値で無内容なごみ本を書きまくってるよ」

被害者の学生はかわいそうだよ。何にも知らずに授業をありがたく受けて。

まだ学生は批判できる精神もないし、知的にも初心者だから。

(この先生、絶対、自覚して書いてますよ、ごみ本のごみ授業だと)



前置きが長くなりましたが、読んで感動する本が「本物ですよ」

「わーけ、わかんねえ。」と思う本はすぐやめて、次に移りましょう。

いい本は一杯あります。(ゴミ本も山のようにあります)



私は九鬼 周造さんの「いきの構造」岩波文庫がお薦めです。

デカルトやカント、ニーチェはつまんないから、止めたほうがいいですよ。

(その解説本の方がよっぽど面白い)

西田幾多郎さんの「善の研究」、キルケゴールの一連の著作、

ダーウインの「ビーグル号航海記」と「種の起源」、ベブレンの「有閑階級の理論」

テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」とかサルトルの「実存主義はヒューマニズムか」とか

自分にあった知的レベルの本を選んで、とにかく楽しめる本を読んで下さいな。







10%理解できればいいと思いますか?

100%理解できればいいと思いますか?



どのぐらい理解できているって

どういう方法で、どうやってわかるのですか?



私は同じ本を10年かけて何度も何十回も読みます。

そういう本が何冊もあります。

時期が来て理解が深まる本も沢山あります。

哲学書は試験のための参考書ではありません。

一生かけて読んでください。







哲学を理解する最大のヒントは本気の恋愛をすることです。自分を見失い無になってみてもう一度哲学書を開いてみて下さい。違ったものが見えてきます。

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